観察眼
効率化の優先やマッチングによって選択肢の機会が減っているように思える。
結果として、人のことは言えないが何かを観察したり考察する時間が急激に減ってる気がする。
いまはチョットした空き時間もスマホに目を奪われるから、尚更色んなものを観なくなっている。
先日、現像する目的で、フィルムカメラで写真を撮った。
フィルムカメラは現像してみないと分からないし、撮影枚数も決まってるから何を撮るか探しながら大事に撮影した。
現在のフィルムカメラは以前と違ってハードルが高い、35mmフィルムは36枚撮りで1本800円はする。20年前の1本100円のような投げ売り価格はもうない、大変貴重になった。現像も1000円近くする、需要と供給をひしひしと感じる。
無駄玉は使えない。
そんな覚悟でシャッターを切る。
そうすると自ずと色々とキョロキョロと普段とは違う目線を探している自分に気がついた。ここに手軽さではないフィルムカメラならではの視線があったんだなとチョット思い出してフィルムカメラの醍醐味みたいなモノがわかった。
わかったと言うか2本のフィルムを失敗して手痛い出費をしたからわかった実感だが、この実感が乏わなければ考察して次のシミュレーションに移れない。
近頃とくに思うのが、失敗も成功も実感して感性を養うのはとても大事なんだなと考えるようになってきた。
ガキの頃に川に入ったり、山に入って遊んだりして、痛いだの冷たいだの様々な体感から物理的な情報を得ていた気がするんだけど、あれはスマホから得られる情報を凌駕していたんじゃないかと思えてならないからだ。
そうして得た実感が、今現在の様々な気付きに繋がっているんじゃないかと思える。
ちなみに、現像したフィルムは半分しか写ってなかった。
けど楽しかった。
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